2019年

2019年 · 22日 12月 2019
 「自分らしく生きる」とは、生き方の理想としてよく言われる言葉です。しかしよく考えれば、漠然とした分かりにくい表現でもあります。 そもそも自分らしくあるためには、どうしたらいいのでしょうか。...
2019年 · 23日 11月 2019
 「わかっちゃいるけどやめられない」は、青島幸男さん作詞「スーダラ節」の有名なフレーズです。このフレーズは万人に思い当たる節があるはず。私たちは何と「わかっちゃいるけどやめられない」行動を繰り返してしまうことでしょう。...
2019年 · 24日 10月 2019
 私たち人類が作り出してきたものは、言語、文化、社会と多々ありますが、この発生のおおもとには投影という機能があるのではないかと思います。...
2019年 · 22日 9月 2019
 この「アウシュヴィッツは終わらない」という表題は、アウシュヴィッツに収容されていたプリーモ・レーヴィ氏が書いた「これが人間か」という本の副題をお借りしたものです。...
2019年 · 23日 8月 2019
 1961年に突如出現し、1989年に崩壊したドイツ・ベルリンの壁。今年は壁の崩壊から、ちょうど30年の節目となります。 ベルリンの壁は、ソ連を中心とする共産主義陣営と、アメリカを中心とする自由主義陣営の間で起こった東西冷戦を象徴する存在でした。当時、壁の近くのカフェでは、東西のスパイ達が情報戦を繰り広げていたそうです。...
2019年 · 10日 8月 2019
 この世には謎が多いものです。その中でも一番謎が多いのは、自分かもしれません。なぜ自分は他の兄弟に比べて背が低いのか、なぜ運動神経が悪いのかなど謎だらけですが、受け入れざるを得ないことも多いですね。...
2019年 · 19日 7月 2019
 ものには輪郭があるから存在が分かるもの。私たちにも輪郭があり、自分と外を分けています。これは私たちの心についても同じです。輪郭があることで、これは人の考え、これは自分の考えと判断しています。この輪郭がぼやけてくると、人の考えと自分の考えの区別がよく分からず、どれも正しい意見のように思ったりします。日頃から、人の考えに頼っている場合は、自分の輪郭はほとんど存在せず、頼っている人の輪郭に自分を重ねているだけかもしれません。また、自分に自信がなかったり、否定的な気持ちが強いと、自分の考えがなかなかまとまらず、輪郭がぼやけた状態になります。自分の考えか、人の考えか区別がつきにいため、決めることができない苦しい状態です。 この心の輪郭は最初から存在していたわけではありません。子供の頃、日々湧き起こる感情を受け容れられると、安心感が得られます。これが、輪郭作りの始まりです。安心感を持ち、自分の意志や考えで行動するうちに、輪郭が少しずつハッキリしてきます。 輪郭作りがうまくいかず、輪郭がぼやけている場合、いつも不安で自信がなく、周囲を基準にものごとを考えるようになります。また、輪郭がいったんできていても、自分を否定されるような環境におかれると、安心感が乏しくなり輪郭がぼやけてきます。 このように、心の輪郭は周囲との関係で明確になったり、ぼやけたりするもので、自分一人で何とかできるものではありません。とは言え、最終的に輪郭を作るのは私たちです。私たちにできるのは、自分の内なる声に耳を傾けものごとを決めて行くという、人生の課題を忘れないことではないでしょうか。
2019年 · 02日 7月 2019
 カウンセリングでお会いする皆様の中には、現在の状態を「自分が希薄になったような」と語る方もいます。いわゆるうつ状態で、具体的には、意欲が低下し、物事が決められない、眠ることもままならないという辛い状態です。自分はもはやエネルギーの乏しく、思い通りにならない厄介者なのです。このような自分を抱えて行くのは、大きな負担で、自分から逃げ出したくなります。具体的な人間関係や経済的な問題を抱え、ままならない状況にいるときは、解決の援助を周囲に求めることもできます。しかし、自分という存在が希薄になり厄介者になっているのは、どう援助してもらったらいいのか分かりにくいですね。「気の持ちようだ」とか言われかねないですし。 自分が希薄になった場合、よく考えると、もともと自分に自信がなく、自分を否定する気持ちがどこかにあったりします。この気持ちがあると、自分より周囲を優先してしまい、他者に評価されることで安心しようとします。また、自信のない自分はダメだという気持ちが強いので、それを周囲に悟られないよう、努力して完璧を目指します。しかし、いくら努力して成果をあげても、安心することができません。自分に自信がない不安な気持ちに向き合ってやらないと、いつまでも安心できないのです。 ところで、この気持ちはいつ自分の中にできたのでしょう。たとえば幼少時、まだ自分で状況をコントロールできない時期を考えてみましょう。その時、安心よりも不安の多い状況(両親の不和など)にいると、不安な状況に対処することだけで精一杯となり、自分の気持ちは抑え込んでしまいます。抑え込んだ不安な気持ちは、解決されないまま残っているのです。何か困難な状況になった時、この不安や自信のなさが出て来て、状況をさらに困難に感じてしまいます。そういう状況が繰り返されているうちに、自分という存在が輪郭の乏しい希薄なものに感じられてくるのです。 自分の存在の感じ方は、このように自分の抱える状況にどう対処できるか、そして自分とどう向き合うかで変化します。状況から逃げていると、不安や焦りはさらに強くなり自分が希薄になって行きます。でも、逃げざるを得ない時もありますね。逃げるという対処法と思えればいいのですが、難しいところです。また所属している組織や仕事=自分の存在だと思って過ごしていると、組織や仕事を失くした時に自分が希薄になってしまいます。例えば定年退職後、自分を見失うようなことが起こるかも知れません。 願わくば、自分を周囲に委ねつつ、一方で、日々自分と向き合えるといいですね。不安な気持ちがあったとしても、自分を決して否定しないで。 ところで、これまで私は「自分が減る」という表現をしてきましたが、今回は「自分が希薄」という表現を使ってみました。このように、自分の存在をどう感じるかは、人それぞれの表現があります。その中で自分なりの表現を発見していくことが、自分の存在に向き合う第一歩かもしれません。
2019年 · 15日 6月 2019
 中国で起こった天安門事件から今年で30年が経ち、事件を振り返る特集もよく見かけます。 30年前の1989年、民主化を求めて天安門に集まった学生達に対し、中国共産党は人民解放軍を動員して発砲し鎮圧しました。これは鄧小平を中心とする保守派の決定でした。その後の中国の目覚ましい経済発展はご存知の通りです。...
2019年 · 02日 6月 2019
気力が出ない、何にも興味が湧かない、世界から色彩が失われたようだ、自分には何の価値もない・・・とても辛い状態ですね。これが「うつ」の世界です。さらに、このようになった自分を責めるため、ますます辛さが増していきます。私はこの状態を「自分が減った」状態と表現しています。そもそも、どうして「うつ」になるのでしょう?どうして自分が減るのでしょう? 私たちは思い通りにならない現実に直面した時、どう受け止めて対処するかが問われます。現実があまりにも困難な場合や、自分に自信がない場合、現実を受け止められず、現実に圧倒されて呑み込まれるか、現実を回避しようとするかになりがちです。どちらの方法をとっても自分を抑えることになるので、自分が減って「うつ」が始まります。このように、「うつ」は自分で自分を抑えつけた結果と言えます。 ではこの「うつ」、果たして自分のものなのでしょうか? 天岩戸神話を考えてみましょう。昔、高天原という神様たちの住む世界がありました。この高天原のリーダーは女神の天照大神で、須佐之男命という乱暴な弟がいました。度を超した須佐之男命のいたずらに、天照大神は怒りとともに落ち込んで天岩戸に隠れてしまい、世の中が真っ暗になりました。闇の世界に困り果てた人々が、知恵とユーモアと実力行使で天岩戸を開いて天照大神と光を取り戻すというお話です。 闇の世界は、穀物は実らず魑魅魍魎がうごめき、人びとは嘆き悲しむ、まさに「うつ」の世界です。しかしこれは人々のせいではなく、天岩戸に天照大神が隠れたせいなのです。一方、弟の不行跡に怒りとともに落ち込んだ天照大神ですが、その「うつ」は弟のせいで天照大神が引き受けるものではないのです。かくして「うつ」は人々から天照大神に、そして天照大神から弟に返され、須佐之男命は高天原を追放されました。これを契機に須佐之男命は考えを改め、自分の力を世の中の為に役立てるようになりました。 このように、本来は自分のものではない「うつ」に私たちは苦しめられることが多いものです。例えばいじめやDVの被害者は、いじめられたり暴力を受けるのは自分が悪いからではないかと思い、落ち込んで「うつ」になることが多いのです。しかしいじめたりDVを働く側には、人を支配して自分の空虚感や不安から目を逸らそうという欲求が隠されています。これこそが「うつ」なのですが、人に押し付けているわけです。 この「うつ」は誰のもの? 抱え込んでしまった「うつ」を手放していくために、こう問いかけてみることが大切ではないでしょうか?その「うつ」が誰のものか分かるには、時間をかけて一緒に考えてくれる専門家や仲間が必要ですが。

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