
私たちは、お祭り、コンサート、スポーツの観戦などで、思わず我を忘れて熱狂するものです。大声を出したり、立ち上がって踊りだしたり。日頃フタをしている感情があふれ出して、自分も周囲もびっくりすることがあります。
小さな子供時代はともかく、大人になると感情を自由に出す機会はほとんどありません。そんな私たちが集団に身を委ねて、感情を発散するのは何とも言えない快感です。
しかし、主催者が意図的に操作する集団にも、人は熱狂し没入してしまいます。
大きな喪失に苦しむ人、虐げられている人、不安が強く自信が持てない人など、その不安を解消してくれそうな集団に熱狂しのめりこむことがあります。
集団と一体化することで、不安感やうつ感情が無くなったような錯覚を起こすのでしょう。一部の宗教団体などに見られ、教義を信じることで不安を抑え、時には多額の献金をし、団体の指示に従って生きます。
集団に身を委ねるのは、母親の胎内に戻っていくような安心感があるのかもしれません。その安心感を利用するのは悪質なやり方と思いますが、以前の戦争のフィルムを見ると、戦意を煽る演説に人々は熱狂しています。
集団は熱狂を生みやすいものです。生き方も含めて全面的に身を委ねないこと、そして個々の感情のケアができる環境が大事だと思います。