· 

空(くう)と空虚感

人は、自分を自分の姿を見ることができません。鏡に映して自分の姿を捉えることができますが、反転した姿なので、他者が見ている自分とは異なります。

同じように、自分が自分を分かることはなかなか難しいものです。世間の基準や親の評価から考えたり、人と比較したりして自分を分かろうとしますが、基準が外側にあるのでいつも承認を必要とします。

しかし、誰かに受け容れてもらう、つまり分かってもらっていると、その安心感から自分を伸び伸び表現できるため、少しずつ自分を分かって行くことができます。自分を分かるとは、自分を表現して受け容れるという日々の繰り返しの積み重ねの結果なのです。

自分を分かってもらえない環境では、強い他者に合わせるか、自分の欲望に従って生きるか、どちらにせよ刹那的な繰り返しで、自分に返ってくるものがないため、いつも空虚感が残ります。空虚感とは、周囲と何のつながりもないような感覚で、とても苦しいものです。

何とか空虚感から逃れようと、それを埋める刺激を求めることもあります。酒、薬物、ギャンブル、恋愛など。しかし、一時的な高揚に終わるので、その刺激を繰り返し求めるようになります。空虚感はいつまでも解消されることはないのです。

自分を受け容れてくれる環境では、安心感と適度な距離があって、自分らしい表現ができます。相手とピッタリ重なるのではなく、一部は重なり、残りは重ならない、いわば安心感の部分と空(くう)の部分があります。

空の部分は空虚感ではなく、自分が考え表現し行動していく部分です。空は自由な表現ができる場、空虚感は自由な表現が閉ざされた感覚とも言えます。空虚感に悩み、刹那的な刺激を求めている時は、そんな場に恵まれてないとも言えます。

 

自分を表現できる空のある場を探し続ける、これは一生続く人生の課題と言えるかも知れません。