物語を生きる

私達人間は、生きて行くために物語を必要としています。

幼い頃から、両親や祖父母達が語ってくれるお話、絵本やアニメ、小説、ドラマなど、日々物語に囲まれて成長します。物語に自分を重ね合わせ、一喜一憂します。そして、強く意識しないまま自分自身の物語を作りつつ生きているのです。主に家庭という舞台、家族という出演者で構成される物語です。

両親がとても教育熱心だが、あまりに習い事が多くて遊ぶ暇がないという境遇の人がいます。習い事を減らしたいが、親が熱心に付き添ってくれるので、なかなか本音が言えないで悩みます。ここまでは、自分が主人公の物語です。

親が抱く価値観=「習い事をたくさんした方が将来のためになる」を信じて頑張って行くか、友達と遊んだり自分の好きなことをする時間が欲しいという欲求に従い、親に訴えるという二つの展開が考えられます。

親の価値観に合わせ自分の欲求を抑えると、主人公はどちらかと言えば親であり、子供の将来のためを信じて励む親と、自分を抑えて従う子供という物語になります。

自分の欲求に従う場合には親とどう交渉するか悩み、習い事を減らしたり辞めた後の自分の行動にも責任を持たないといけません。しかし、それこそが自分が主人公の物語です。

親が不安が強く、子供が自分の思い通りにならないと不安になったり怒ったりするという家庭もあります。この場合、子供は親の顔色をうかがい、何とか親に合わせようとします。これは完全に親が主人公で、子供は自分の感情を抑えて主人公に仕えているのです。

親が主人公の状態が続くと、社会でも周囲を主人公にして、周囲に嫌われないよう合わせる生き方になりがちです。自分の感情はいつも抑えられるので、生きている実感が乏しく、虚しさや空虚感に悩まされるようになります。物語は発展せず、いつも同じ繰り返しです。

このように大なり小なり生き辛さを感じる場合、人生の物語において自分が主人公になってないことが多いものです。

 

自信がなく虚しさばかり感じる時は、自分を鼓舞するのではなく、抑えつけてばかりだった自分の方をむいて、大変だったねと声をかけてやることが必要です。人と比較せずに自分を認め、自分に寄り添ってやれば、そこから自分が主人公になり、物語が動き始めます。