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のみ込み

「のみ込み」は文字通りの意味で使われる場合と、のみ込みがいい=物分かりがいいなどの比喩で使われる場合があります。食べ物をのみ込むことと、物事を理解することは、どちらも生きて行く上で、日々欠かせない行為です。

与えられた食べ物をのみ込むかどうかは、個人の判断ですが、幼い頃は味や感触、匂いなどの好き嫌いがあり、のみ込めないことも多いものです。このような好き嫌いも、成長と共に改善するものが多いのですが、中には生涯のみ込めないものもあります。また、例えのみ込んだとしても、食べ物の中に心身が受け付けないものが混じっていると、吐き出して体を守ります。

のみ込みの比喩で例えられる、物事の理解や受け容れについてはどうでしょう。

例えば子供は、家庭内が不和で緊張している場合、その状況を判断の余地なくのみ込みます。のみ込んだ結果、緊張や不安を抱えますが、これは消化することも吐き出すこともできないまま、心の中にとどまります。健康な精神に相反する異物なのですが、その状況でしか生きて行けない子供はのみ込むしかないのです。

異物をのみ込んだ場合、いつもこの異物(不安や緊張)に対する対処が優先し、のびのびと状況を楽しむことができません。どのような状況にいても、どこかに不安や緊張を感じるからです。

また、異物でありながら、不安や緊張は自分の一部のように感じられ、傍からもそのように思われてしまいます。その結果、自分が弱くてダメな人間に思われ、自信をなくしたり、気分が沈んでうつ状態のようになることもあります。

 

一見自分の一部になったこの異物については、話すことでしかその存在が、自分にも他人にも分からないものです。いつも自分を苦しめる感情があれば、その感情を外に向け解消するのではなく、感情自体に向き合ってみることが必要です。ゆっくり話を聞いてくれる環境で、時間をかけて向き合ってみましょう。生きて行くためにのみ込んだものが、自分の人生を妨げていたことが、だんだんと見えてきます。傾聴してくれる人に話すことで、自分から離れて行くのです。