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家族神話

私達は日々、たくさんの「当たり前」に支えられて生きています。朝、太陽が昇るのは当たり前、昼は活動し、夜になると休むのが当たり前など、際限のない多くの当たり前が私達の日々を形作っています。

その中で、家族については、愛情を持って支え合うのが当たり前という、家族神話とも言えるものが浸透しています。しかしよく考えれば、これは当たり前ではなく、家族という集団が力を合わせて目指す目標と捉えた方が良いでしょう。

そもそも、他人同士が結婚して家族は始まるのです。自分を開示し、相手を知る努力が必要です。共に時間を過ごし、率直に話し合い、互いを重んじ尊敬する、どれか一つ欠けても、相互理解は成り立ちません。これを日々続けるうちに、愛情を持って支え合うという態勢が徐々にできてきます。

また家族には、家族を維持するための様々な仕事があります。家庭の日常的な家事、生活費を稼ぐための仕事など、どのような分担で行うか取り決め、それを守って家庭は運営できるのです。

諸々の取り決めと、日々の実行と、その中で相手を理解しようとする努力、このようなものが家族を支え合い、愛情となるのです。

しかし私達は、最初から家族の支え合いと愛情があって当たり前と思い込みがちです。

特に、子供は家族の愛情があってこそ生きられるので、自然とそう思います。

両親の中が悪かったり、子供に対して愛情が乏しい場合など、子供は自分が良い子でないからだと考えます。当たり前なことが存在しないのは、自分が悪いからだと原因を自分に求め、自分を責めるのです。

また、親が親の役割を果たせないことが多いと、子供は自発的に親の役割を代行したりします。家族の当たり前を維持しなければと考え、自分を抑えて周囲の事情に合わせた思考や行動をするのです。

このように無理をした影響が成長後に出てきます。自分の感情や欲求が分からない、周囲に合わせているがいつも不安であるなど、生き辛さを覚える状態です。家族神話に合わせて自分を抑えつけたための、辛い結果です。

 

家族神話におんぶして、家族は愛情があって支え合うものだなどと決めつけないで、家族を作って行くにはどのような契約と努力と覚悟がいるか、家族を作る前に学び考える必要があります。一番に守られるべき、子供の成長のための安全な環境を作るためにも。