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意味を求めて

私達は、思いがけないものごとに遭遇したとき、まずその意味を探ろうとします。意味を知ることで対処法が分かり、解決の方法を模索できるからです。

ところが、その意味が分からない場合も多いですね。特に人間関係において、よく体験するのではないでしょうか。

例えば、昨日まで機嫌よくつき合っていた人が、急にそっけなくなったりすることがあります。こんな時、大概の人は、自分が何か悪いことをしたのではないかと考えます。そこでちょっと下手に出て様子をうかがったり、共通の知り合いに事情を聞いてみたりします。

相手との約束を忘れていたりする場合もあるでしょうが、ただ単に相手の機嫌が悪いだけのこともあります。しかし私達はそうは思わず、まず相手との関係性において意味を探ろうとするのです。

これは私達が生まれ落ちてから、親子関係、同胞関係、友人関係、社会関係と、関係の網の中で生きる存在であることを考えれば、当然のことかもしれません。そこで、意味が分からない場合、原因を自分に求めて自分を責めることがよく起こります。そこには何らかの意味がないと、気持ちの収まりがつかず不安なのです。

しかし、自分を責めて、自分を抑え込んでいると徐々に自信を失くすという困った事態になりがちです。一方的に自分を抑えてしまうような関係は自由な関係とは言えず、相手の気分に左右される不安定な関係と言えます。

親子関係、友人関係、職場関係など、一旦できるとなかなか抜けるのが難しい関係では、このような不安定な関係になる危険性があります。特に親子関係などは性善説で見られやすく、親は子供を思うのが当たり前という考えに本人も囚われたりするものです。しかし、このような関係は日々相手と向き合い努力した結果成り立つもの、自分を責めることが続く場合、このような関係が成り立ってないのです。

自分を責め続けると、自信を失くし生きる力が落ちてきます。まずそこから離れてみること、すぐに離れられなくても、気持ちだけでも離れられる場所を探すことが必要です。

離れる、距離を取るということは、実はどんな関係の中でも必要なことです。

関係は近くなると、相手を吞み込んだり呑み込まれたりという危険性が生じ、先のような不安定な関係になることがあります。それを避けるには、いつも適度な距離を取り相手と向き合うことが必要です。

 

意味を探すのはこの距離を取るという行動で、それ自体は大事なことですが、意味が分からなくて自分を責めると、相手に呑み込まれてしまうのです。