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自分を知る

 アルコール依存症など、依存症の治療には、3本の柱があります。

①病気について正確に知ること。②自分自身が病気をどう認識し行動していたか振り返ること。③同じ病気の仲間と率直に自分を語り合うことの3本です。

①は本などでも知識を得ることができます。しかし、②と③は一人では不可能で、治療の場や仲間が必要です。

抑圧していた苦しみを消し去り、万能感をもたらしてくれるアルコールの作用、この作用に心身ともに依存して行く過程を、病気と捉えている人はなかなかいません。実は強い依存作用を持つアルコールですが、依存する自分に罪悪感や無力感を覚え、それを消すためにも、アルコールが必要です。繰り返すうち、徐々にアルコールが生活の中心となり、コントロール不可能となっていきます。

無力化したこの状態を認めていくこと、つまりアルコールに振り回され、日常や人間関係を失い、誇りも失った苦しさを率直に語ること、それは自分という唯一無二のものに寄り添うことです。恥ずかしい自分を隠したり、なんとかなると支援を断るのは、自分を見捨てることになります。しかし、この状態を認めるのは、すべてを失うようで怖いものです。そこで、同じ体験をした仲間と苦しみを分かち合うことで、初めて安心して自分を認める勇気が得られます。

そもそも、依存症になる場合、自分を知り認める機会に恵まれてないのかも知れません。例えば、家庭内に依存症の親がいるなど不安がいつもある場合、壊れそうな家庭を維持していく役割を引き受けざるを得ません。家庭や学校で様々な体験を積んで自分を知って行く時期に、見守ってくれる人もなく、不安の対処に追われ、本来の自分の欲求を知ることができないのです。自分の欲求が分からないと、常に周囲に合わせようと緊張し、不安、虚しさ、怒りなどの感情に悩むようになります。この苦しみから逃れようと、何かに依存することは起こりうることです。

 

自分を知り認めることは、人生で最も大切なことですが、状況に恵まれなければ最も難しいことになります。依存症の治療というきっかけは、一見辛い状況ですが、自分を知って認めるための大きなチャンスかも知れません。