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知っているつもり

 

 目に見えない新型コロナウィルスの拡大に、戦々恐々に日々ですね。その中で私は初めて、ウィルスというものがどのような存在なのか知ることになりました。

 

今までは、細菌よりかなり小さくて、生物に寄生するものという程度の知識でした。

 

ところが、何とウィルスは遺伝子とそれを囲むたんぱく質の殻だけの存在で、細胞を持たないため自分で増殖することはなく、生物とは言えないとのこと。生物の細胞に入り込み道具を借りて初めて増殖するという、何とも理解しがたいものです。また、たくさん増殖したウィルスが細胞から放出される時、細胞は破壊されてしまうというエイリアンのような怖さがあります。

 

気軽にウィルスと言っていましたが、いかに自分が無知であったかを恥じ、何とも不気味な存在であることを痛感しました。そして対策としては、とにかく体内に入れないよう細心の注意を払うしかないことも納得できました。

 

よく考えれば、このように知っているつもりで済ませていることは多々ありますね。自分の専門の仕事となるとかなりの知識を持っているでしょうが、大概のことは一通りの知識で知っているつもりになっているものです。

 

その中でも、知っているようでよく知らないのが自分です。自分に対しても、いつもは知っているつもりで暮らしています。「自分のことは自分が一番よく分かっている」などと言ったりしますね。

 

しかし、いけないと思いつつ同じことを繰り返したり、思っていることと正反対のことを言ってみたり、自分というのはよく分からないところが多いのです。よく分からない部分はダメな自分ということで自分を責めたりしますが、そうするとまた同じことが起こり、ますます自信を無くしたりします。

 

意外なことですが、一人で自分を知ることは難しいということです。なぜでしょう。

 

自分というのは両親を始めとする様々な人との関係性の中で出来上がってきたからです。その中で、のびのびと自己表現できたこともあったり、周囲を忖度して自分の気持ちを抑えつけたり、時には深く傷ついて蓋をしたりという様々な体験が重なっています。そのような複雑な積み重ねでできている自分を、自分一人で分かっていくのはとても難しいことです。

 

自分を知るには、安心感を持って自分を語れる人や場の存在が必要です。自由に制約なしに自分のことを語っていくうちに、奥にしまい込んでいた体験や気持ちが出てきます。しまい込んだままで、自分のものとして整理できていない体験や気持ちです。

 

この体験や気持ちを簡単に良い悪いと評価しないで、じっくり向き合うことが必要です。傷ついていたのなら癒しが必要です。そして何より懸命に生きて来た自分がそこにいれば、大いにねぎらいましょう。そうなって初めて自分と対等に向き合い、自分を知っていけるのではないでしょうか。