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心を預ける

 

 人間関係ができるとは、心を預けること。道端で挨拶をするくらいの関係でも、相手にさまざまな想いを持つからこそ挨拶の言葉が出てきます。「こんにちは」の言葉が自然と出るのは「今日は寒いですね。お元気ですか」のような想いがあるからなのです。

 

家族などの身近な関係になると、もっとたくさんの想いが交錯します。親は子供に「可愛くてたまらない」「元気で育って欲しい」「この子のためなら何でもしよう」と、愛情と思いやり、心配などたくさんの想いに満ちた心を与え預けます。子供は「守って欲しい」「食べさせて欲しい」「遊んで欲しい」「一緒にいて欲しい」「可愛がって欲しい」「教えて欲しい」など、生きて行くのに必要なすべてを託した心を預けます。

 

こうやって心を預け合い、受け取り合ってそれぞれの感情が生まれ、考えや行動が生まれてきます。親の愛情に満ちたケアを受けた子供は、不安よりも安心感が大きく、食欲があって活発でしょう。そして思いやりの心を受け取った子供は、人を思いやる心を持ち、兄弟を可愛がり、友達や仲間を作るでしょう。子供から生きて行くすべてを託された親は、懸命にそれに応えようとし多少の犠牲もいとわず働き、深い充実感を得るでしょう。

 

しかしながら、親が子供に愛情の心を預けてやれない場合があります。親自体が深く傷ついたり、感情が枯渇していたり、大病を患ったりして、自分が生きることがやっとの場合などです。

 

この場合も、子供は生きるためにすべての心を親に預けようとします。でも預けられないとなると、大きな不安が襲ってきます。子供に親の状態を冷静に判断する能力はまだありませんから、親に合わせて自分の感情を抑えたり、事態がうまくいかないのは自分が悪いのだろうと考えたりします。預けた心は受け取られないまま、どこかに行ってしまった状態になるのです。

 

このどこかに行ってしまった心が、私たちに大きな喪失感や不安感、自信のなさをもたらします。子供時代を伸び伸びと生きることができず、大人になってもどこか自分には欠けたところがあると感じ続けます。その結果、自分よりも周囲の意向を優先させてしまうようになります。

 

子供の頃、預けようとして受け取ってもらえなかった心は、いまだに受け取りを願って、誰かに預けていることもあります。相手は受け取ってないのに、願望が続いているのです。親が本当は愛してくれているのではないかという、子供が生きて行くのに必要だった切実な願望です。

 

この切実な願望に気づいてやり、認めてやることが、預けた心を取り戻して行くための第一歩です。願望を認め、預けたはずなのに受け取ってもらえず放置された怒りや悲しみを認めてやりましょう。

 

長い間預けていた心を取り戻すと、徐々に生きる実感がわいてきます。他でもない自分を主人公として、生き始めることができるのです。