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男女の格差

 

 近年、反響を呼んだ「サピエンス全史」。書いたのは、イスラエルの歴史家ユヴァル・ノア・ハラリ氏です。この本は、非常にユニークな歴史観に満ちています。

 

例えば、人類が狩猟生活から農耕生活へと変わったこと(農業革命)を、私たちは文明の進歩と信じて来ました。しかしハラリ氏は、農業は長時間労働と体への負担、貧富の差の発生、先行きへの不安などをもたらし、決して人類を幸せにしなかったと語ります。

 

主食となった小麦や稲などから見れば、人類は終日小麦や稲の世話をさせられ、その上、一地方の植物に過ぎなかった小麦や稲を、世界中に広げて行く手助けをさせられたわけで、いわば人類が家畜化されたという見方をします。

 

このように、新たな視点を次々に提供するハラリ氏ですが、男女の格差の歴史には困惑しているようです。なぜ人類は、家父長制を普遍的に守り続け、男性が女性を支配し続けてきたのか、男性の何が女性より優れているのか、ハラリ氏は考察を続けますが答えが見つかりません。弱い動物である我々人類の最大の利点は、協力する能力にあります。なぜ、野心的で競争的で、あまり協力的でない個体(男性)が、他者を重んじ子育てに献身する、協力的な個体(女性)を支配するようになったのかと問いかけます。

 

私は、このような問いかけ自体に、とても新鮮なものを覚えました。

 

家父長制に基づく、様々な王朝や権力者たちの歴史が、すなわち人類の歴史であるとしてきたのは、一面的な見方だったのかもしれません。多分、その歴史自体、支配者の男性たちが書いたものですから。

 

では、女性の視点からの歴史とは?命を大切に守りながら、新しい命を産み出し、育んでいった、その一つ一つの積み重なりが今まで続いた私たちの歴史です。権力を象徴するような建造物の陰には、このような命を守りつながる歴史があったはずです。

 

その歴史が続いていくには、私たちは個人として尊重され、自分を大切に生きる必要があります。抑えつけられることが多かったこの当たり前のことが、当たり前になるには、何が必要でしょう。お互いを深く理解すること、一人一人が抱えている痛みを尊重し受け容れ合うこと、つまり現代のキーワードとされる「分断」ではなく、「共感」と「協力」です。

 

ハラリ氏によれば、この一世紀の間に、男女の格差は急激に解消しつつあります。

 

今後は男女それぞれの専有的分野とされてきた政治や子育てを、共通分野にしていく必要があります。パラリンピックの選手たちの調査から、人間の脳は一部欠損しても、日々努力することで新しい機能を獲得できることが実証されています。男女の格差を埋めるにも、これまでの男女の概念を越えた新しい生き方考え方を獲得することが、これからの私たちに必要となるでしょう。

 

理想的なことばかり書いてきたと思われるかもしれませんが、実はカウンセリングの基本も同じです。今までの自分の歴史を、自分を中心に検証し直し、とらわれていたものから解放され、新たな自分の生き方考え方を見出していく、その体験をする場がカウンセリングなのです。