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ジキルとハイド

 

 19世紀の末に発表された、あまりにも有名な物語です。

 

ジキル博士は、薬によって全く別人のハイド氏という、衝動性に任せた凶悪な人格になる方法を手に入れます。ジキル博士は、両方の人格を行ったり来たりして、楽しんでいました。しかし、だんだん薬のコントロールが効かなくなり、ハイド氏からジキル博士に戻れなくなって悲劇的な結末を迎えます。

 

この話は、今でも私たちの心を捉えます。これほど極端でなくても、社会的に課せられた役割を解き放って、自由に過ごしたい願望は多くの人にあるでしょう。

 

この話では、ジキル博士は理性、ハイド氏は感情を象徴する存在として描かれています。

 

私たちは成長するにつれ、周囲に適応する自分、つまり理性を優先させ、感情は抑えることが多くなります。多くの人は、自分のコントロールの範囲でこれを行っています。

 

しかし、不当に感情を抑えつけられたり、感情を分かち合ってくれる人がいなかったりすると、自分の感情を抑え込んだまま、周囲に合わせた仮面のような人格を作ることがあります。偽りの自己と言われるのがそれです。

 

この人格を作ると、自分の感情がよく分からなくなってしまいます。しかし、感情はどこかに存在し、常に自分の存在を脅かすような不安感や怒り、虚しさとなって感じられます。自分にとって大事なものは、周囲よりも自分の中から湧き出る感情ですから、それを見失ったのは大変なことなのです。

 

この感情は何かのきっかけでひょっこり出て来て、抑え込まれた感情をまき散らし、仮面の人格は一生懸命それを抑え込もうとしたりします。しかし、周囲に合わせて作った仮面の人格では抑えきれません。その感情を酒やギャンブルなどの刺激でなだめているうちに、だんだん酒やギャンブルを止められなくなったりします。まさにジキル博士とハイド氏のように、力関係が変わってきた状態です。

 

仮面を作るのは防衛のためなので、ほとんど自動的におこなわれ、判断の余地はありません。いったん仮面が作られると、簡単に取り外しはできず、私たちの人格の一部のようになって行きます。この仮面をはずしで、隠された感情と向き合わない限り、いつまでもコントロールできない感情に苦しめられることになります。

 

ちなみに隠されているのは、抑え込まれた怒りや寂しさなどのつき合いにくい感情です。しかし、向き合うことで、私たちを成長させてくれる大切な感情なのです。

 

もちろん仮面をはずすには、はずしてもいいという安心感と、それを保証してくれる環境が必要ですが。

 

ジキル博士とハイド氏の話も、仮面の人格と隠された感情の話と読めないこともありません。ハイド氏はジキル博士の隠された大切な感情で、ジキル博士は薬を使ってそれを取り戻そうとした故の悲劇なのでしょうか。