24日 11月 2022
自分は人生の主役。もし自分が希薄だと、主役のいない人生となり、いつも周囲をうかがいながら右往左往することになります。 ところで、この自分はどうやってできるのでしょう。...
10日 11月 2022
世の中には、自分で決めることを避けている人がいます。相手に合わせたり、周囲に合わせたりの繰り返しで、自分で決めてと言われると、途端に不安になります。...
25日 10月 2022
私達は、人間関係において、何となく相手のことが分かった気分で過ごしています。Aさんはこんな人、Bさんはこんな人と、分かっている範囲でのつき合いをしています。...
11日 10月 2022
私達は日々生きる中で、実に多くのことを考えています。朝起きて、どの服を着ようかと、早速考え始めます。日々、習慣になっている、洗面・歯磨きなどは、あまり考えることなく行動しているかも知れません。...
26日 9月 2022
10日 9月 2022
この世を生きるのにあたって一番大切なものはと問われたら、皆さんはどう答えますか。人それぞれの価値観があり、例えば家族やお金や健康など、いろいろな答えが出て来そうです。 私が考えるのは、自分に対する信頼感が何より大切ではないかということです。...
26日 8月 2022
今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、権力の中心の座を巡って次々と争い戦う、勝ち残りゲームのようなことが繰り返されます。例えば、平氏打倒で結びついていた源氏の集団も、目的を達成した途端、今度は源氏の中で新たな権力闘争が始まるのです。...
11日 8月 2022
子供が産まれてしばらくして始めること、それは遊びです。手足を動かし、身体全体で伸びをすることから遊びは始まります。 目が見えるようになると、吊るされた遊具を目で追って喜びます。歩けるようになれば、遊びは広がります。歩いたり走ったり、お気に入りのおもちゃを集めたり、ぬいぐるみを抱きしめて、どこにでも連れて行ったりします。...
26日 7月 2022
前回は、「罪悪感はいらない」ことがテーマでしたが、今回はその続きです。 自分を否定してくる罪悪感は、自分にとって全く有害なものですが、なぜそのような罪悪感が生まれるのでしょう?それは、心の中に常に不安を煽り、自分を否定し続ける、もう一人の自分がいるからです。 このもう一人の自分を名づけて「超自我」と言います。...
11日 7月 2022
私達は日頃、周囲の状況に応じて反応し、行動していると思いがちです。しかし、まず自分の心を周囲に投影し、それをまた受け取って反応するという、心の投影・取入れをして生きているのです。物悲しい気分を投影すると、周囲にあまり色彩が感じられず、世界が沈んでいるように思えたり、逆にうれしい気分を投影すると、些細なことがらも良い兆しのように感じられたりします。 心に罪悪感を抱えていると、周囲は幸せな雰囲気でも、それが伝わらず、感情が湧いてきません。自分を責めたり否定したりして、世界から取り残されたような気分、強い孤独感に見舞われます。 特に、意識しないまま抱えてしまった罪悪感があると、自分の考えに自信が持てません。そのため、自分で考えてものごとを進めるのは困難ですが、人のサポートは何とかできます。しかし、サポートした人や周囲が、自分を認めてくれないと苦しくなります。罪悪感のため自信が持てず、人に保証してもらう必要があるのです。 このような罪悪感を抱えていると、自分の人生でありながら、自分を主人公にして生きることができないという事態になります。 この罪悪感は、どうして生まれてしまったのでしょう。 例えば、家庭や学校、職場など、自分が所属している集団の中に対立があり、自分の居場所がなかったり、攻撃されたりするとします。集団の中で力の弱い存在の場合、このような辛い状態に陥ったことに対し、自分の力のなさを責め罪悪感が生まれることがあります。 一度生まれた罪悪感はそのまま心に居続け、ことあるごとに出て来て自分を責めます。次第にやる気と自信を失わせ、生きている実感も乏しくなってきます。 この罪悪感は、いわれなく持たされた罪悪感で、実際は集団の問題だったのです。生きるのが苦しい時、このような、いわれのない罪悪感を抱え込んでいるかも知れません。 もちろん、自分都合で他者を傷つけたと感じた時に覚える罪悪感は大切な罪悪感で、向き合って越えて行くしかないものです。苦しくても、あくまで主人公は自分です。 これに対し、いわれのない罪悪感は、自分の人生を奪い取る罪悪感と言えます。この罪悪感は「いらない」のです。

さらに表示する